「……生きてくれ」
闇の中で痛みの中で聞こえたのは、一番聞きたかった声。
何も見えないのに、その力と温もりだけはじんと伝わってくる。
「誓う……必ず生きて戻る……そなたの元へと」
ああ──
夢だろうか、これは。
夢ではないと、確かめたかった。
この温もりと力の源に、この声の主に腕を回して。
目を開いて、確かめて──
ああ──
腕が上がらない、何も見えない。
だから生きよと、生きてくれと、囁く声に──せめて頷く。
身体は動かぬけれど、せめて心で。

誓います──だから……

呼びたかったその名を心で紡ぐと同時に──
眠りが全てをふさいでいった。

朱の鞘

血の匂いなど慣れていた。
弾き飛ばされた太刀と、動きを封じるべく右腕と
脇腹に負わされた深手の傷。
それに付き、あるいは流れ続けるその匂いになど、
慣れきっていた。
なのに──これは何だ。
嗅ぎ慣れぬ血の匂いに、愕然とする己がいる。
微笑んで見詰める瞳はあの禍々しく焼き尽くす赫ではなく、
柔らかな深緑の色。
彼女が手にし、そして己の傷をつけた
対の小太刀は──今、目の前で朱色を流す鞘に収められている。
「……秋月様」
微笑む彼女の手にした小太刀を染めるのは、己の血と。
「……私は……二度も貴方を手にかけたくはありません」
「……座長……」
情けない震えた声──名前すら呼べない声。
ただ傷を押さえて蹲る以外に出来ないまま、そんな声で呼びかける。
「『敵』ではなく……まだ……そう呼んで下さるのですね」
その手にした小太刀を自らの腹に突き刺して、彼女は。
ありがとうございますと──幸せそうに微笑んで。
「座長──!!」
崩れる身体を支える以外に──
あの時の様に、泣き叫ぶ声を張り上げる以外に──
出来る事は何も、なかった。

その戦場で、土方にあの旅芸者の女を護れと言われて、
鉄之助は渋々とその命を受けた。
幾ら、侍相手に戦ったとはいえ──結果的に自分がそれに
救われたとはいえ、足手まといの女の警護に回されるだなんて。
しかも、あの女ときたら何か気が付いたと思ったら、
あの小太刀を持ってさっさと
何処かに走っていってしまい、挙句はぐれてしまった。
当然腹は立ったし、放っていってやろうかとすら思ったが、だが。
その走り出す前に見た顔が妙に気になった。
妙に虚ろな表情で──瞳が赫く染まっていた様な。
それも、ひどく禍々しい赫に。
馬鹿らしい、瞳の色が変わる人間などいるものかと思いつつ。
土方の命令だし、と己を無理矢理納得させて鉄之助もまた後を追い。
そして──その音を聞いた。
甲高い剣戟の音、そして太刀を手にしてぶつかり合う二つの人影。
一人はあの女、そしてもう一人は見知らぬ黒衣の男だった。
その二人の姿に、ぞくりとする。
人の姿を取っているのに、人間ではない存在に見える。
一瞬──鬼神かと、すら思った。
その理由は、相対する二人の瞳を見たせいか。
あの女の瞳には禍々しく全てを焼き尽くす赫が、
そして相対する男の瞳には深藍の海底より怨嗟吐く、
堕ちた星の凍える青が。
それぞれに、まるで鬼火の様に灯って揺れているのだ。
男の方は土方のそれに並ぶかと思われる手練、
あの女の方も互角に戦っている。
だが……
ぎん──とまた甲高く響く剣戟。
男が飛びのき、あの女が太刀持つ手を切り落とそうと
その刀を大きく振るい──鉄之助は一瞬声を上げそうになった。
だが──瞬間、男の瞳に揺れる鬼火が消える。
そして──つぎの瞬間、ざしと鈍く肉を断ち切る音と共に、
赤く血の蛇が飛んだ。
黒い影が、鷹を思わせる動きで再び飛び退く。
地面に降り立った彼の右腕は、真っ赤に染まっていた。
かなりの深手と思う間もなく、再び男は彼女に向かう。
だが、もうその瞳にあの鬼火はなく、
最初に見せた鬼神を思わせる気はなくなっていた。
対する彼女の方は未だ、あの鬼神の気配を纏ったままだ。
──あいつ、負けるぞ
傍目にいる鉄之助にすら、それが感じられ──そして。
手出しは出来ぬと思えるほどのその凄まじい
打ち合いは、あっけなく終わった。
にぶい──肉を断ち切る音と赤く飛散する血。
そして──彼女の足元に崩れ落ちる、黒衣。
彼女は赫い瞳のまま、男の頭上に刃を振り下ろそうとする。
だが──
「な……っ」
また響く鈍い音と、目の前の情景に鉄之助は目を見開いた。
赫い瞳は深緑のそれに代わり、黒衣の男に向かって彼女は
何事か言い、幸せそうに微笑み──己の身に小太刀を突き立てて。
──私は自分で自分を殺したりはしません──
脳裏に過ぎる、あの声。
──私はお侍じゃないから──
そして
「座長──!!」
崩れる体を抱き止め、初めて発された男の声は──
悲痛で、どうしようもないくらいに悲痛で。
半身を引き千切られて泣き叫ぶ獣の様な声で──
鉄之助の目の前で、叫びを収めた男は黒い外套を外し
彼女の身体に巻き付ける。
そして──彼女を抱き締めたまま、背を向けたまま声を発した。
「そこの者、官軍か共和国……何処の者か?」
動かぬ体を抱きかかえ振り返る──その深藍の瞳は
静かに燃える様な光を湛えていた。
右腕も脇腹も己の傷の血を止めぬまま小さな身体を抱き抱え、
男は鉄之助を見詰める。
ああ──この男だ、と判った。理解した。
彼女が待っていた男──彼女が捜していた男は。
男は鉄之助の答えなぞ待たず、その身体を抱いたまま近付くと言った。
「何処の者でもいい……この者を医師の下へと連れて行ってくれ」
「……それほど大切ならば何故、お前が行かない!」
娘に抱いた心のままに食って掛かる様に問い掛ける鉄之助に、
男は微かに眉根を寄せ答えた。
「この身には……まだ成すべき事がある」
それはまるで──この娘よりも大切な事と言っている様で、
その為に娘を打ち捨てるように聞こえて。
また、彼女の言葉が蘇る──自分で自分を殺したりしないと言った言葉が。
その彼女が──己に刃を突き立ててまで救った、この男は。
「その人は……自分で自分を殺したりはしないと言った」
その鉄之助の言葉に深藍の瞳が微かに見開かれる。
「その彼女が……己を切ってまでお前を救ったのに、
なのにお前は何だ!!
成すべき事とかの為に、彼女をここに打ち捨てて
見殺しにするのか!?
この娘を死神に手渡しても構わぬと言うのか!?」
抱いた淡い心のままにその叫びを叩き付ける。
「お前などこの娘が待ち、探す価値などない!!
お前など……お前など、この娘を
不幸にするだけではないか!!」
切り殺されても構わぬと叩き付けた
その叫びに──返ったのは。
「そなたの言葉……全て、その通りだ、否定はしない」
淡々とした──声。
だが、その視線は決然として──一振りの刃の如く、真直に強く。
「だが……例え神であろうとも、渡すつもりは微塵もない」
そして──その言葉を証明する様に、血に染まった腕で
小さな身体を抱き締め。
目を閉じた顔の傍で囁いたその声に、確かに。
確かに──彼女は微笑んで。
「……その人を頼む」
背を翻し、二本の太刀を拾い──駆け去る姿は
いつか土方と共に目にした、狼そのもの。
「…あの…馬鹿……っ」
微かに耳にしたあの男の残した言葉に、鉄之助は歯を食いしばり、
託された小さな身体を抱き締める。
囁きは──生きてくれと願い、そして誓っていた。
──生きて帰る、と。
「馬鹿野郎……っ」

走る、走る、走る──
腕の傷も脇腹の傷もどうでも良かった。
足さえ動けばいい、刀さえ振るえればいい。
この身体を動かすものにしたがって、ひたすら駆ける。
それは使命ではなく、宿命ですらなかった──むしろ、その逆。
全くの私怨、全く己の為だけの──恐らくは怒り。
あの血のにおいを嗅ぎ、その身体を抱き締め、
ふつと沸いたその感情。
断ち切ってやる──ただ、その思いだけだった。
この宿命を、己達を縛る鎖を、この手で──
恨んだ事も呪った事もない筈の宿命に、初めて怒りを抱いた。
世の騒乱などどうでもいい、この国の行く末など知った事か──
抗う、この鎖を断ち切る、ただ己の感情の為だけに──『首』を、斬る。
生きて帰ると誓った、生きろと願った。
ただ、その為に、己が生きる為だけに──他者を殺す事を望んでいる。
戦場を走り抜けるそれは、もはや『永遠の刺客』などではなく。
ただの獣──命がけで獲物を追い食い千切らんとする、
一頭の山狗だった。
我欲に走る獣に月涙刀は応えない──沈黙のまま、
刃を晒している。
構わない──そう思った。
手を出すなとすら──命令した。
今の己は『永遠の刺客』として、首を追う事はしない。
欲に塗れ、愚かで、己の為に他者の命を狩り一顧だにせぬ、
醜い一人の人間、その己が『首』を追っているのだ。
手負いの獣そのものの気迫で向かう者を切り払い、
斬り殺し、ひたすら前に。
と──
気配が、変わった。
刀を構える目の前で、榎本が……『首』が──現れる。
「……来たか」
赫い瞳は楽しげに笑って、こちらを見やる。
そして、微かに驚いた表情を浮かべた。
「刀の『力』はどうしたのだ……見捨てられたか? 
『永遠の刺客』とも有ろう者が醜い我に囚われるとは、な」
嘲笑う声に、じっとその姿を見据える。
視界は奪われぬまま──力も宿らぬまま、身一つの己で。
「構わぬ……『永遠の刺客』である必要などない」
その言葉に『首』は笑った。
「ほお、では貴様は何者だ? 宿命を、
存在の意義を否定して何者であろうとする」
その言葉に──目を閉じる。
生きて帰る──そう誓った。
生きてくれと──そう願った。
この望みを叶える為に『首』を断つなら、
その者の名は、これ以外にはない筈だ。
瞳を開く、真直ぐに見据え──そしてはっきりと答えた。
「秋月耀次郎……一介の浪人だ」











フリー絵として描いた「耀×赫」のイラストに、仲良くさせていただいて
いる「つきのまち」風間様が素敵な小説をつけて下さいました。

絵を描きつつ耀次郎と赫乃丈の関係を妄想し「こんな感じw」と
頭の中で描いていた場面をピンポイントで具現化という奇跡を
味わってしまいました。。
(*´д`*)ハァハァ
「一介の浪人だ」で終わる所も活字好きな私の心に
キューンっと!!
かっこよすぎるー素晴らしすぎます。

本当に素敵なお話を、ありがとうございました。
しかも我侭なお願いにも関わらず拙宅にも飾らせていただく事を
快く了解していただき感謝感激です。